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福島地方裁判所会津若松支部 昭和32年(ワ)112号 判決 1960年1月27日

原告 五十嵐ミワ 外六名

被告 財団法人竹田綜合病院 外二名

主文

(1)原告らの請求を棄却する。

(2)訴訟費用は、原告らの連帯負担とする。

事実

第一、(原告らの主張)

(一)  請求趣旨

(1)  被告らは連帯して原告らに対し金百万円(ただし原告ミワにつき金六十六万六千六百七十円、その余の原告らにつき各金五万五千五百五十五円)およびこれに対する昭和二十九年十二月二日より支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

(2)  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

(3)  仮執行の宣言をもとめる。

(二)請求原因

(イ)原告五十嵐ミワならびに亡五十嵐重郎は、亡五十嵐正の実父母であり、また被告財団法人竹田綜合病院は医療の目的をもつて創設された財団法人、被告小山光紀は、同病院に使用されてそこに勤務し、呼吸器系統に属する外科的治療を担当している医師、被告竹田秀一は、使用者たる右被告病院に代つてその事業の全般を経営監督しているものである。(ロ)しかるところ、原告ミワならびに亡重郎の四男であつた正は、昭和二十七年十一月被告病院の診察をうけた結果、肺結核と診断されたので、ここに入院のうえ療養するところとなり、ざんじ快方に向つたが、そのご正の主治医であつた被告小山のすすめにより胸かく成形手術をうけることとなり、昭和二十九年十二月一日被告小山の執刀で右の手術をうけたが、手術後の輸血にさいし、主治医たる被告小山の不注意により正に対し誤つた輸血がおこなわれたため、正は同日午後十時三十分被告病院において死亡するにいたつた。(ハ)がんらい、医師が人体に対し、血液型の異つた輸血をほどこせば、疾病または死の結果を招来することは、医学上自明のことであるから、いやしくも医師たるものは、その輸血にさいしては、つねに用意周到最善の注意をはろうべきはもとよりであり、患者の血液が何型に属するかを適確に判定し、ことに冬期などにおいては、おうおうにして、いわゆる寒冷凝集反応をおこし、血液型の判定をあやまらせるおそれがあるからして、その血液型判定にあたつては、気温等にもじゆうぶん留意すべき業務上の注意義務を有するのであるが、被告小山は医師としてこれらの注意義務をおこたり、昭和二十九年十二月一日午前九時三十分ごろ、前記手術にさきだち、看護婦古川信子をして室温摂氏五度ないし十度ぐらいの低温度の病室内において患者である正の耳だから採血させ、これを用意したホールグラス内の判定用血清に混和させ、ついで、これをほぼ同温度の廊下をとおつて約二十米離れた診療室に持参させたうえ、自ら細心の注意もはらわずにこれを検査し、本来O型(すくなくともB型)であつた正の血液型をまんぜんとAB型であると誤つた判定をした。(ニ)正の血液型は右のようにO型(すくなくともB型)であるから、これにAB型を輸血するなどは医学上絶対に相容れないものであるにかかわらず、正の手術後約三十分を経過した同日午後三時ごろ、被告小山の指示により、いわゆるインターンである羽生富士夫の手で第一回目の輸血としてあらかじめ準備されたAB型血液三二〇ccが輸血され、そのさい、正の口唇にしびれを生じ、最初の副作用をおこしたので、ここにいつたん輸血を中止し、そのご五時間を経て同じくインターン小山光男の手で第二回目の輸血として右のAB型八〇ccの輸血をしたところ、その直後からふたたび副作用をおこし、足がしびれるなどと苦悶を訴え、午後九時半ごろにいたつて心臓の衰弱がはなはだしく、意識の混だくを来たし、容態が急変したので、被告小山らが必死になつて人工呼吸などの応急処置を講じたものの、およばず、午後十時三十分正はついに死亡してしまつた。(ホ)しこうして、正の死亡は、右のようなO型(すくなくともB型)に対するAB型という不適合輸血によるものであつて、事ことにいたつたのも、被告小山がその医療上の不注意でO型(すくなくともB型)をAB型と誤判したからであり、正の死亡は、被告小山の過失に起因することはあきらかである。(へ)かりに、右輸血の措置に過失がないか、または正の死亡が右のような不適合輸血の結果でなく、シヨツク死であるとしても、胸かく成形手術は往時のように死亡率が高くないというものの、今日なお侵襲の大なる手術であるから、医師たるものは、患者の手術に対する耐久力または適応性をじゆうぶんに確めたうえ、これが執刀におよぶべきものであるところ、正は、両側に空洞を有する重症の両側肺結核兼腸結核症であつて、三年間の化学療法によりようやく一側の胸かく成形手術をうけうるにいたつた、いわば、手術適応の最下位に属するもので、ばあいによつては、第一次の手術侵襲に応じきれず死亡するおそれがあつたにかかわらず、被告小山は、医師としての注意をかいたがため、死の結果を予見することができず、あえて本件手術を実施した結果正を死亡させたもので、被告小山の過失であることは明白である。(ト)しからば、この事故によつて正ならびにその両親たる原告ミワおよび亡重郎にあたえた損害については、被告小山は、その不法行為者として、また被告病院は、前示のように被告小山をその医師として使用し、かつ右事故は、同被告が被告病院の医師として正を治療するにあたり、その過失によつて生ぜしめたものであるから、いわゆる使用者として、他方被告竹田は、使用者たる被告病院に代つてその事業を監督するものであるから代理監督者としてそれぞれ右損害の連帯賠償の責任がある。(チ)ところで、(a)正は、福島県立会津工業学校を卒業し、一時渡満したり応召をうけたが、昭和二十六年五月東北電力株式会社に入社し、会津倉庫係として、一カ年の総収入は金八万四千円であつて、その生活費は一カ年金六万円と見つもり、差しひき純収入は最低一カ年金二万四千円である。しこうして、正は大正十二年七月八日生であるからすくなくとも満六十才まで生きられるとして、将来の生存年数は本件事故のあつた昭和二十九年十二月一日より向う二十八年七カ月であり、右の事故さえなければ、同期間にわたり右割合の収入をあげうるわけである。したがつて正は、右事故のため右期間のうべかりし純収益としてすくなくとも金六十八万四千円を失い、同額の損害をこおむつたこととなり、この金額からホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除した金二十八万二千円については、これを一時に請求できるところである。そして原告ミワならびに亡重郎は正の死亡により、その遺産相続をなし、右の損害賠償債権を承継したが、その相続分は相ひとしいから各自その半額金十四万千円の損害賠償債権を有するものである。(b)つぎに、原告ミワならびに亡重郎は正の実父母であつて正の死亡により多大の精神的苦痛をこおむり、その慰藉料として一人金五十万円をもつて相当するから、被告らにおいてこれが賠償をなすべき義務がある。(c)しからば、被告らは、連帯して原告ミワならびに亡重郎に対しそれぞれ以上の総計金六十四万千円宛の賠償をなすべきものであるところ、そのうち本訴では、さしずめ、一人各金五十万円宛合計金百万円を請求することとした。(d)しかるに亡重郎は、本訴提起後昭和三十三年八月二十四日死亡したので、同人の権利義務はその妻である原告ミワとその直系卑属である他の原告らが相続した。(リ)よつて、原告らは、請求趣旨記載のとおり被告らに対し金百万とこれに対する正の死亡した翌日たる昭和二十九年十二月二日より完済にいたるまで民事法定年五分の割合による遅延損害金の支払をもとめるため本訴におよんだ。

(三)  被告らの主張に対する答弁

被告病院ならびに同竹田主張の抗弁事実は、これを否認する。かりに被告病院において被告小山の選任に相当の注意をなしたとしても、その医療行為について監督責任がないということはできないから、被告病院ならびに同竹田において被告小山の医療行為についてその監督をおこたつていた以上、いずれも使用者としての責任を免れることはできない。

第二、(被告らの主張)

(一)  申立

主文同旨。

(二)  認否

原告主張事実中、(イ)の事実、(ロ)のうち、正が昭和二十七年十一月被告病院の診察をうけたところ肺結核と診断されたこと、そこで原告主張のころ被告病院に入院して治療をうけたこと、被告小山は正の主治医であつたこと、同被告の執刀で昭和二十九年十二月一日正に対し胸かく成形手術がおこなわれたこと、正は同日午後十時三十分被告病院で死亡した事実、(ハ)のうち、医師に原告主張のような輸血上の注意義務のあること、被告小山は、昭和二十九年十二月一日正の手術前看護婦古川信子をして室温摂氏五度ないし十度ぐらいの病室内で正の耳だから採血させ、これを診療室に持参させて自ら検血したこと、その結果これをAB型と判定した事実、(ニ)のうち、同日午後三時ごろ、被告小山の指示で、羽生富士夫が第一回目にあらかじめ準備したAB型血液を三二〇cc輸血し、そのご五時間を経て小山光男が第二回目として同型血液を八〇cc輸血したこと、同日午後九時三十分ごろ正は心臓衰弱がはなはだしく、意識が混だくし、容態が急変し、被告小山らが人工呼吸をほどこしたが、同夜午後十時三十分死亡した事実、(チ)(a)のうち、原告ミワならびに亡重郎は正の遺産相続人であつた事実ならびに(チ)(d)の事実はこれを認めるが、その余の主張事実はすべてあらそう。

(三)  主張

(1)  正を手術するにいたつた経過。

正は、昭和二十七年十一月十七日被告病院において肺結核と診断された結果、ただちに入院し、種々化学療法を継続したが、症状が軽快とならないばかりか、痰中結核菌も陽性を呈していたので、主治医である被告小山は、正に対し胸かく成形手術をほどこすことが最良の療法であることを説明した。そこで正からも右の手術をこん請するので、正がこれに適応であるかいなか、また手術にたえうるかいなかについて、被告病院の顧問医である東北大学抗酸菌研究所長熊谷岱蔵博士に諸検査成績を提示し、さらに数回にわたつて受診させ、長期間の治療成績からして右の胸かく成形手術が最善であると診断され、なお、手術も二回に分画しておこなえばたえられると決定された。かくして昭和二十九年十二月一日午後一時十五分被告小山が執刀して右の手術を施行し、同午後二時三十分に終了した。そのさい、右手術にさきだち、輸血の準備がなされた。

(2)  被告小山のした正に対する本件輸血の措置に過失はなかつた。

(イ)血液型の判定について。(a)医師が輸血にさきだつておこなう血液型判定については、原告主張のように用意周到でなければならないが、本件発生当時昭和二十七年六月二十三日厚生省告示第一三八号「輸血に関し医師又は歯科医師の準拠すべき基準」というのがあつて、これによれば、医師は血液型の判定にはいわゆる「全血法」によるべきものとされている。被告小山はこの基準にもとづいて全血法による判定を実施したのであるが、昭和二十九年十二月一日午前十時ころ室温摂氏五度ないし十度ぐらいの正の病室で採血し、これをほぼ同温度の廊下を運搬したうえ、被告小山の診療室で判定をしたけれども、同診療室の温度はゆうに摂氏二十度前後になつていたのであるから、被告小山が気温に顧慮せず、寒冷凝集反応を呈するにまかせるような不注意な措置はとつておらなかつたのである。通常力価の弱い寒冷凝集素を含む血清なら、たとえ一時寒冷にあつても摂氏二十度前後の適温の場所にもどせば、自然その凝集が融解し、判定をあやまることはないのである。従来からも被告小山はこの方法によつて多数の検血をしたが、いずれもその判定をあやまつたことはないのであつて、本件においても、右基準にあるとおり被検血者たる正に対しては、事前にその血液型について問審をした結果自らAB型であるとの返答を得、右全血法による判定の結果と一致したので、輸血しても差しつかえがないものと判断して、さきに福島県輸血協会から準備された四〇〇グラムのAB型血液を輸血することにしたのである。当時右基準には、全血法による判定方法以外に他の判定方法たとえば、クロスマツチ法などは、義務として要求しておらなかつたのであるから、被告小山は右血液型判定について医師としてとるべき措置をおこたつたところはない。(b)がんらい、血液型の判定をあやまる原因は多岐にわたる。まず、判定用血清が不純であつたばあい、ことに製品に寒冷凝集素をふくんでいるときは、室温摂氏十五度内外の検査でもAB型のみならず、すべての血液がAB型のような結果を示すものである。後日判明したところによれば、被告小山が本件で使用した判定用血清は、「たん白質研究所の製品であつたが、当時これは厚生省の検定済のものであつたけれども、なお寒冷凝集素をふくんでおり、なかには抗N凝集素さえもはいつているという不純製品であつたのである。被告小山は右製品の使用注意書指示のとおり、全血法で適正時間、適正温度のもとに検査してこれをAB型と判定したのであつて、もし右が誤判であるとすれば、それは、被告小山の責に帰しえない右血清の不純に基くものであつて、同被告に注意義務のかいたいがあつたということはできない。(c)血液型の判定をあやまる第二の主因として被検血液の特異的性状をあげることができる。かりに右の血清が不純でなかつたとしても、被検血液たる正の血液に特異の性状があつたとすれば、これにもとづく誤判については、被告小山に責任はない。

(ロ)輸血操作について。血液型の判定が全血法によると、学問的にはある程度(約〇・一パーセント)の誤判をまねくものではあるが、臨床医は、この危険を防止するため、輸血のさい、まず小量の血液(約五cc)を注射し、しばらくの間受血者の一般状態を観察し、かつ自覚症状をたずねる。もし異変がなければ、さらに五ccを注射し、ちくじこれを反復し、緩除に輸血を施行し、全血法にもとづく誤判の危険を未然に防止し、かつ、その欠点を補正するのであるが、被告小山はこの操作によつてインターン羽生ならびに同小山をしてそれぞれ本件の輸血を実施させたが、正にはこれという副作用はなかつたからして、原告の主張するように二回も右の輸血をしたのであつて、その輸血の操作に過誤はなかつたのである。

(3)  正の死因は不適合輸血によるものではなく、手術後のシヨツク死である。

不適合輸血によつて死亡するということは、きわめて少いことである。いつぱんに、不適合輸血がおこなわれたばあい、これによつて死亡するものははげしい副作用を呈する。副作用の軽度のものや、副作用のないものには、従来一例の死亡者もない。正に対して第一回には、原告主張のように三二〇ccを輸血し、かるい口唇のしびれ感があつたが、これと認むべき副作用はなく、ついで第二回には八〇ccを注射したが、べつに苦悶を訴えるなどの副作用はなかつた。正が死亡するまでの経過は、はじめから苦悶やチアノーゼの症状なく、顔ぼうも正常であつたが、次第に脉搏頻数微弱となり、おわりには、倦怠苦悶等を生じて死亡したもので、これは大手術後におきたシヨツク死の症状であり、正はシヨツク死と診断されたのである。

(4)  被告小山には、正に対する手術適否の判断をあやまつた過失はない。

前示(1) においてのべたように、被告小山は、正の健康状態については慎重な調査をしたうえ、本件の手術を施行したものであつて、その間に原告のいうような手術の適応性または耐久力について判断をあやまつたということはない。

(5)  被告病院と同竹田の抗弁。

かりに、被告小山の過失により、原告らが損害をこおむつたとしても、同被告は東北大学医学部を卒業し、被告病院において、主として呼吸器科を担当し、その経験年数も十年におよび、呼吸器科長として、多数の患者をあつかい、また胸かく成形手術も四百回におよぶ経験をもち、被告病院としてその選任について相当の注意をしていたのであり、他方被告小山の医療行為については使用者たる被告病院といえども、これに立ち入つて監督することはできないが、その勤怠について指揮監督をし、その間に使用者として不注意のかどはなかつたのであるから、被告病院として賠償の責任がない。したがつて被告竹田においても同様その責任がない。

(6)  本件について示談が成立しているから本訴は失当である。

かりに、以上がすべて理由ないとしても、正の死亡後、被告病院においては、正の両親たる原告ミワならびに重郎に対し相当の弔慰金を呈上し、同人らにおいてもこれを了承していたのであるから、両者の間に示談が成立したものというべきであつて、原告らの本訴請求は失当である。

第三、(立証)

(一)、原告

甲第一号証ないし甲第四号証、甲第五号証の一ないし四、甲第六号証を提出し、証人五十嵐三郎、同五十嵐千代、同菅野正司、同石井好弘、同栗山イチ、同馬場明雄(第一回)、同北見昇、同有賀正、同吉川久枝、同古川信子、同鈴木稔、同佐藤好武、同根本豊、同五十嵐竹雄の各証言、検証、鑑定人太田馨、同古畑種基、同遠山博の各鑑定、原告五十嵐三郎ならびに被告小山光紀(第一回)各本人尋問の各結果を援用し、乙第一号証の一、二、乙第二号証の一ないし三、乙第五号証ないし乙第七号証、乙第十三号証ないし乙第十六号証、乙第十九号証、乙第二十号証ならびに乙第二十三号証の各成立を認め、その余の乙号各証の成立を不知とのべた。

(二)、被告

乙第一号証の一、二、乙第二号証の一ないし三、乙第三号証ないし乙第二十三号証を提出し、証人羽生富士夫(第一、二回)、同小山光男、同塩川五郎、同湯浅正覚、同高橋寛、同穴田秀男、同馬場明雄(第二回)、同百井健二、同松原貞次、同星七郎の各証言、鑑定人古畑種基、同遠山博、同上野正吉の各鑑定ならびに被告小山光紀本人尋問(第一ないし三回)の各結果を援用し、甲号各証の成立を認めた。

理由

一、(正が死亡した事実等について。)

原告五十嵐ミワならびに亡五十嵐重郎(本訴提起当時の原告)の実子(四男)である亡五十嵐正が昭和二十七年十一月被告病院の診察をうけたところ、肺結核と診断されたので、ただちに入院して治療をうけていたこと、正の主治医は被告小山光紀であつたが、昭和二十九年十二月一日正に対し、同被告の執刀で胸かく成形手術がなされたこと、同日正の手術前正の耳だから採血され、これが被告小山の判定でAB型と決定されたこと、そこで右手術後の同日午後三時ころとそのご五時間した午後八時ころの二回にわたり、同被告の指示によりAB型血液が輸血されたこと、ついで正は同日午後十時三十分ごろ心臓衰弱、意識混だくのすえ、死亡したことは、いずれも当事者間にあらそいがない。

二、(被告小山の輸血上の過失の有無と正の死因について。)

(1)  輸血に関する過失の有無。

まず、正の死亡について被告小山に過失責任があるかどうかを検討するにさきだち、その前提として原告が主張するように、正の血液型判定について、同被告に過失があつたかどうかを考察することとする。

(イ)  正の血液型について。そこで、正の本来の血液型は、何型であつたかについて考えるに、鑑定人太田馨、同古畑種基、同上野正吉の各鑑定の結果によると、正の実母ミワはO型、実姉チヨはO型、実兄三郎はB型、実妹ツキはO型、同じく実妹セツはB型であるから、それら血族関係が自然血族であやまりのないものであるかぎり、その当然の結果として実父たる亡重郎はB型の持主であり、したがつて遺伝法則によれば、正の血液型は、B型かO型かのいずれかであつたことが認められる。そして右の事実と成立にあらそいのない甲第二号証、乙第二号証の二の各記載とを綜合するときは、正の血液型はむしろO型であつたと認めるのが相当であつて、いずれにしとも、AB型ではありえないわけであるから、前認定のように、被告小山が正の血液型をAB型と判定したのは、結果的にはあやまりであつたといわねばならない。

(ロ)  血液型判定について。被告小山に本件血液型判定について過失があるというには、同被告が医師として当然まもるべき注意義務をつくしていたならば、正の本来の血液型をただしく判定しえたばあいであることを要する。もとより、医師がこれについて、いかなる注意義務をはらうべきかは、いちがいに論断すべきではなく、そのばあいの条件によつて決定せられねばならない。(a)証人穴田秀男の証言と鑑定人古畑種基の鑑定とによれば、現在でも通常臨床医が患者の血液型を判定するにあたつて、ひろくとられている方法は、いわゆる全血法といわれるものであつて、これは、厚生省が定めた基準に適合した血液型判定用血清(本件当時においては、昭和二十六年三月十七日厚生省告示第四十六号血液型判定用血清基準にもとづき、検定されていた。)を用いて被検血液を直接に検査判定するものであるが、そのさい医師は、標準血清に示された使用法にもとづき正確に判定すべきはいうまでもないが、なお検査時における温度についても細心の注意をはらうべきこととされている。被告小山が昭和二十九年十二月一日、正の手術前(午前九時三十分ごろ)看護婦古川信子をして室温摂氏五度ないし十度ぐらいの病室内で正の耳だから採血させ、これを診療室に持参させたうえ自ら検血したものであることは、当事者間にあらそいがなく、そしてそのさいに検血方法としてとられた方法は、前示全血法であることは被告らの自認するところであり、かつ被告小山本人の供述(第一、二回)によれば、看護婦古川をして右のように採血させたのち、これをあらかじめ判定用血清のいれてあるホールグラスに点滴し、それをそのまま約二十米の廊下をとおつて自己の診療室にはこばせたが、その判定をくだした診療室の温度は、ゆうに、摂氏二十度ぐらいであつたのであり、なお、使用した標準血清は、厚生省の検定にかかるたん白質研究所製のもので、それに示された使用法にもとづき、あたかも毒物検査をする慎重さをもつて検査をしたのであつて、したがつて従来もかかる方法をとつてすこしの事故もなかつたというのであるから、本件血液型判定について、被告小山のとつた措置は、いちおう医師としての義務をおこつたものでないようにもおもわれる。(b)しかしながら、鑑定人古畑積基の鑑定によれば、医師が周到な注意を払つても全血法によるかぎり、血液型の判定をあやまることがすくなくなく、専門家とよばれるものが、優秀な判定血清をつかい、適正温度で適正時間検査したときでも、全血法による検査では、O型五三五八件につき六件、A型五八二〇件につき五件、B型三二九〇件につき三件、AB型一五三四件につき一件の各誤判の結果をみたとし、いつぱんの臨床家においては、すくなくともこの数倍以上のあやまりをきたすものとおもわれるとされ、この点被告らにおいても、全血法によるときは、学問的にもあるていど(約〇・一パーセント)の誤判をまねくのは、さけられないのであつて、この危険は、実際では、輸血の操作によつて防止するのであるとのべている。もし、このように、全血法は、どのように正確な操作をしても、経験的、科学的にあるていど誤判の危険性があるものとするならば、医師たるものは、輸血にさいし異型輸血から生ずる危険を防止するため、たんに右のような輸血の操作や手加減だけにたよるべきではない。かりに適確な血液型の判定をくだしえたとおもつても、再確認をして、すみやかに誤判に気づき、異型輸血をおもいとどまるだけの科学的措置を講じるべきである。もちろん、こういつた判定結果の再確認ということは、時間、設備、その他いろいろ手数のかかることではあろう。しかしそれだからといつて、一刻をあらそう緊急事態でもなく、十分な設備と補助者もあるばあいには、前示のような全血法の科学的危険性を無視してよいわけではない。血液型誤判の要因が種々雑多であるならば、なおいつそうのことである。昭和二十七年六月二十三日厚生省告示第百三十八号「輸血に関し医師又は歯科医師の準拠すべき基準」によれば、「血液型は給血者及び受血者について血液型判定用血清を使用して正確に検査を行うとともに、給血者と受血者との血液各小量を混じて凝集反応を調べること。」と 規定されているのも、医師に対し原則として右のような確認の義務をおわせているものと解すべきである。(c)被告らは、本件当時いつぱんの臨床医には、全血法以外の措置はその義務とされていなかつたとあらそい、証人穴田秀雄、同百井健二、同松原貞次、ならびに被告小山本人(第一、二回)の各供述の一部にこれが趣旨に副う部分はあるけれども、これらは、いずれも前示説明に対比してにわかに措信することができず、また成立にあらそいのない乙第二十号証の記載によれば、全血法による検血をしたのち確認の措置を講ずることは、医学上必ずしも義務ではないが、通常のばあい正確を期するためこれによることがのぞましい旨前示告示に関する厚生省当局の回答があるけれども、右の告示は医師法第二十四条の二にもとづき、厚生大臣が公衆衛生上重大な危害を生ずるおそれあるばあいにおいて、その危害防止上特に必要あると認めるときにおこなう指示であつて、医師にとつては多分に訓示的であるにせよ、なお規範的な拘束力をもつものと解すべきであるから、右回答の趣旨は、条件の許すかぎり、右のような確認の措置はその医療上の義務であると解釈するのが相当である。しからば、全血法以外の措置は医師の義務でないとする被告らの主張はとることができない。(d)つぎに、被告らは、被告小山が本件で使用した標準血清は、寒冷凝集素をふくんでおり、抗N不完全抗体さえもはいつていたうたがいのある「たん白質研究所」製造のものであつたのであり、被告小山がいかに正確な検査をしても、これら不良品による誤判はさけることができなかつたものであると主張するけれども、被告らの全立証に徴しても、本件で正の血液型判定に使用された標準血清そのものが右たん白質研究所製のもので、そのうえ、どういう検査をしても誤判をまぬかれない抗N不完全抗体という不純物の混入していた製品であつたという確証はない。もつとも、証人星七郎の証言、被告小山本人の供述(第二、三回)ならびに弁論の全趣旨によれば、被告病院では、本件手術前の昭和二十九年七月六日に前記たん白質研究所製の標準血清二十本を購入し、そのご本件手術まで購入したことがなく、また該研究所は、そのご不良品のため事故をおこし、当局から発売禁止の処分をうけたことのある東京血清研究所の前身という関係にあつたということも窺われるから、いちおう右のように問題のあるたん白質研究所の製品が使われたのではないかとも考えられないではないが、しかし、右星七郎の他の証言によれば、当時前回購入された他研究所製の標準血清の残存していた可能性もあつたというのであるから、前示の事実があつたからといつて、いちがいに本件の標準血清が被告らの主張する不良品であつたと断言することもゆるされない。(ことに被告小山本人の供述(第一、二回)によれば、これまで誤判をしたのは、一回あつただけであるというのであるから、これからすると、本件当時被告病院で使用されていた標準血清は、さほど不良でもなかつたと考えざるを得ない。)また、他方鑑定人上野正吉の鑑定によれば、そのころ、いつぱんに使用されていた標準血清には、寒冷凝集素をふくんでいるおそれは皆無とはいえない状況であつたようにも認められるけれども、被告らの右主張は、医師が全血法以外の措置をとることは、その義務でないという前提にたつて、もつぱら全血法を実施したときにおける誤判発見の不可能性をいうものであつて、これをとることができないのみならず、全血法による科学的な欠点のほかに通常考えられる寒冷凝集素など製品の不良にもとづく誤判の危険があるからこそ、なおいつそう検血後さらにその確認の措置を必要とするものと考えられるのであるから、いずれにしても、被告らの右の主張はこれをとることができない。(e)また被告らは、正の血液型の特異性を主張するけれども、このような性状を認めるにたる何らの証拠もないから、もとより採用すべきところではない。(f)しこうして、証人塩川五郎の証言と弁論の全趣旨からすれば、被告小山においては、当時全血法に前示のような科学的な欠陥のあることを了知していたこと、本件正に対する手術は、胸かく成形手術であり、いわゆる交通事故による重傷者のように一刻をあらそうような緊急のばあいでないこと、被告病院は、人的にも物的にも、いちおう設備が完備していることがそれぞれ認められ、しかも、本件検血にあたり、摂氏五度から十度ぐらいの病室で採血し、これをホールグラスにある標準血清に点滴したうえ、そのまま約二十米の廊下(成立にあらそいのない甲第六号証によれば、昭和二十九年十二月一日午前九時における気温は〇・七度であつた。)を運搬したのちに判定したということは被告小山本人の供述(第二回)でも認めているように、取扱いとしては通常好ましいコンデイシヨンでないのにかかわらず、全血法によつてAB型と判定しただけで、そのごさらに、「給血者と受血者との血液各小量を混じて凝集反応を調べること」(同被告によれば、これを散滴法と名づけ、いわゆるクロス・マツチ法と区別している。)をしなかつたことが明らかであるから、同被告には、この点において義務違反があつたといわねばならない。(g)つぎに、被告小山が当時右の措置を講じていたならば、はたして正の血液型をただしく判定することができたかどうかについて検討する。本件で使用された標準血清が不良で、当時学界においてすら未知であつた抗N不完全抗体がはいつていたほどのしろものであつたという証拠のないことは、前述のとおりであり、厚生省が前示告示第百三十八号のいわゆる輸血基準において、正確な検査をしたうえ、さらに、給血者と受血者との血液各小量を混じて凝集反応を調べることを指示しているのは、たとえば、全血法によつて出た判定結果をさらに凝集反応をおこさせてその結果の正確性をテストさせようとしているものであるから、発生しうべき誤判の危険をこれによつて除去できることを期待しているものというべきであり、ちなみに、昭和三十一年十二月二十九日厚生省告示第三百八十七号によるABO式血液型判定用血清基準(本件後の改正)による判定用血清の使用法に関する表示書に判定上の注意として「なお対照として、型のかわつている赤血球を用いれば更に正確である。」ことをあげていることからしても、このようなテストをおこなえば、結果の正確を期待できるとしているのであるから、他に特段の事情の認められない本件においても、正の血液型判定をしたのち、前示の措置をとつていたとすれば、すくなくとも誤判であることに気づき、ひいては、これによつてただしい結果を得たであろうことは十分に推測しうるものといわねばならない。(h)以上によれば、被告小山が本件の検血後さらに前示の措置をとつていたとするならば、すくなくとも、AB型は正のただしい血液型でないことに気づいたであろうとおもわれるのに、そのことをしないで、全血法による結果だけをただしいものだとしてこれをAB型と決定したことは、どうしても過失であるといわねばならない。

(ハ)しこうして被告小山の指示でそのご正に対し第一回目三二〇cc、第二回八〇cc、合計四〇〇ccのAB型の輸血がおこなわれたことは、当事者間にあらそいがないのであるから、右輸血もまた同被告の過失にもとづくものといわねばならない。

(2)  異型輸血と正の死因。

しからば、つぎに、被告小山が過失によつてAB型と判定した結果、正に対し同型の血液を輸血したことと正の死亡との間に因果関係があつたかどうかについて考察する。正の死亡について被告小山に医師としての過失責任を認めるためには、同被告の過失行為たる血液型の判定、したがつてこれにもとづくあやまつた輸血と正の死亡との間に因果関係のあることを必要とする。すなわち右の死亡が被告小山の過失に原因しておらねばならない。右のようないわゆる異型輸血がなかつたならば、正の死亡という事故が発生しなかつたであろうとともに、一般的抽象的にみても、そのような関係が肯定せられることを要する。しかるに本件においては、まず、正に対して前示のような胸かく成形手術がおこなわれ、ついで、その直後である午後三時にAB型血液三二〇ccが輸血され、そのご五時間を経て同型血液八〇ccが注入されたが、同日午後九時三十分ごろから正の心臓衰弱がはなはだしくなり、容態も急変して同夜午後十時三十分ついに死亡したという時間的な前後の関係は、当事者間にあらそいがないから、これを肯認できるところではあるけれども、右の輸血と死亡との間にまえにのべたような原因結果の関係が存在することについては、いまだ原告の立証ではこれを肯定するにたらない。もちろん、鑑定人遠山博の鑑定によつても明らかなように、異型輸血(O型またはB型にAB型を輸血したばあい)は、理論的には、生命に危険を生じ得るものとされ、それゆえ、同型の輸血をおこなうことが今日の医学上の常識とされているのであるからして、右のような手術後の患者に対し、これを実施したときは、もとよりかんばしからざる何らかの影響をあたえるかもしれず、ときには死にいたる可能性あることは想像できるけれども、具体的にそれが死亡の原因であつたかどうかはわからない。血液型誤判イコール輸血死ではない。むしろ、鑑定人古畑種基の鑑定によれば、五十九例の異型輸血中、死亡が五例、生存が五十四例、そのパーセンテーヂは、前者が八・五%、後者が九一・五%となつており、その輸血量も区々であり、わずか一〇〇ccで死亡したものもあれば、三〇〇ccも輸血してなお死亡しないのは、もちろんのこと、副作用すらないもの、最高二、二〇〇ccを輸血してもその症状が中等症のものもあることが認められ、他方鑑定人遠山博の鑑定によつても、百四十例中、死亡が十六例で全体一一・四%という資料が報告されているところからすると、その大部分が死亡にいたらないことが臨床的に明らかとされている。しこうして、被告小山本人の供述(第一、二回)によれば、正の症状は手術後のシヨツク死であるとされているけれども、これは、同被告がまえにのべたように、異型輸血をしたことをまつたく念頭におかないで、くだした診断であるから全面的に信用することは、危険ではあるけれども、鑑定人遠山博の鑑定によれば、正の手術前の肺活量が三、〇〇〇ccあり、本件は一側の第一次胸成術であり、術後奇異呼吸、痰の気道閉塞等を思わせる症状がまつたくないことより呼吸不全死は否定せられる。これに対し術後の急性心停止および術後シヨツク死を否定しうる資料はないから、むしろいわゆる胸成術後のシヨツク死と判定しうる公算が大であり、その反面輸血死と断定できるものがない、といしていることが認められるから、以上の各鑑定の結果と被告小山本人の供述(第一ないし第三回)とをかれこれ綜合するときは、正の死因は、むしろ多分に輸血死でないのではないか、と認めるのが相当である。証人五十嵐三郎(原告本人としての供述をふくむ。)、同五十嵐千代の各証言中、正の症状に輸血にともなう著しい苦もんの副作用があつた趣旨の供述は、証人栗山イチ、同吉川久枝、同古川信子、同羽生富士夫(第一、二回)ならびに同小山光男の各証言に対比して措信することができず、他に右の認定を左右する証拠はない。しからば、他に特段の賃料のみあたらない本件においては、正に対する輸血は、被告小山のあやまつた検血をともなうものではあるけれども、これと右死亡との間に因果関係を法律上認定することができないから、けつきよく右死亡については、被告小山に過失責任を問うことができないものといわねばならない。

三、(被告小山の手術上の過失の有無について。)

つぎに、原告らは、被告小山において正の手術に対する耐久力または適応性につき医師としての判断をあやまつた過失があると主張する。しこうして、医師たるものは、その手術前患者の体力、健康状態を慎重に考慮したうえ、その病根を除去するのに最善の時期においてこれに着手すべきことは、もとより多言を要しないところではあるが、本件において原告らの全立証によつても、被告小山が医師として右の注意義務をおこたつた結果、手術に関する診断と治療をあやまつたという証拠はない。むしろ原告らにおいて自認しているように、正は昭和二十七年十一月被告病院の診察をうけた結果、肺結核と診断されたので、ただちに入院し、そのご治療をうけ、ざんじ快方に向つていたのであり、この点、証人五十嵐三郎の供述によつても「入院中正の病状はその経過がよく退院してもよいほどになつていたが、根治するには成形手術によつて病巣を除去するにかぎるという主治医(被告小山)の意見と正の希望とによつて手術した」という事情が認められ、他方証人塩川五郎、被告小山本人(第一回)の各供述によると、正の手術前患者の体力をも入念に診断して万全を期し、なおそのうえ、被告病院の顧問医をしている東北大学総長医学博士熊谷岱蔵をして正の診断にあたらせ、被告小山からこれまでの治療の経過等をこれに提供して、その意見が一致したので、本件の成形術を施行するにいたつたことが認められるから、以上の経過からすると、当時被告小山においては、医師として慎重にかつ忠実にその治療にあたつたものというべく、その間に原告らが主張するような注意義務のかいたいがあつたとは、とうてい認められない。しからば、原告らの右主張はこれを採用することはできない。

四、(むすび)

以上によれば、被告小山において正の死亡について過失責任もしくはその手術適否の判断に過失のあつたことを前提とする原告らの本訴請求は、爾余の各争点について判断するまでもなく、すべて理由がないから、失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用は、敗訴の当事者に連帯してこれを負担させる。よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 向井哲次郎)

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